沖縄で一番メジャーな山に登ろう~伊江島タッチュー(城山)172メートル編~
「沖縄で、山と言えば?」
そんなシンプルな質問を沖縄県民に投げかけたとする。すると大半はこう返してくるだろう。
「伊江島タッチュー」だと。
あ、でも20代後半からの男性県民はきっと、沖縄の繁華街、居酒屋やキャバクラやスナックなどが集中する街「那覇市松山」って言うな。ていうかそれがむしろ大半だな。僕もそんな質問されたら恐らく反射神経でそう言うしな。どうしようもないな僕ら男ってやつは…(言うほど思ってないけど)。
…そんなことはさておき、伊江島に出張があった機会を生かし、この「伊江島タッチュー」に登ってきた。正式名称は城山。172メートル。平たい島の中央部をぎゅっとつまんだらそこだけ岩山がそそり立ったような特徴的な形状から、古くから琉球の民に航海の目印としても頼りにされてきた山だ。
この山がなぜそんなに有名なのか。形状もさることながら、沖縄の小学校の修学旅行の立ち寄り先という点が非常に大きい。沖縄本島中南部の小学生はたいてい、修学旅行のコースにこの伊江島が設定され、タッチュー登山がその日程に組み込まれているのである。那覇や宜野湾や糸満の人が「誰もが一度は登ったことがある」。それがタッチューを身近に感じさせる理由の一つなのだ。
さて、このブログの当面の目標が富士登山なんだけど、今のところ山どころか丘すらのぼってない。もちろんみんなの話題にものぼってない。そんなこと言うな。…ともあれ、僕の「登山」一発目を伊江島タッチューから始めようと思ったのである。
伊江島は沖縄本島北部の本部港から船で30分の島。大きめのカーフェリーが日に4往復している比較的アクセスしやすい島だ。
さて、タッチュー登山をする人はたいてい、レンタカーとかバイクとかで中腹の駐車場まで来るだろう。そういう意味では初心者に優しい山である。富士山でいう五合目スタートと言える。有利な状況でスタートできるという点では相席居酒屋における相席スタートにも似ているな。<?
登山口では伊江島=伊江村のゆるキャラのスズメ「タッちゅん」が迎えてくれる。結構好きなキャラクター。パンツが伊江島特産の落花生。よく見るとやはり特産の島ラッキョウも背負わされている。この詰め込み教育的盛りすぎ感よ。
いろいろ地学的な成り立ちも書いてあるがこのへんはブラタモリあたりに任せたい。
前書きはいいからそろそろ登ろう。ブログ開設以来の初登山だ!
―そんな気合いを入れた途端にまず下る。肩透かし感がハンパない。
しばらく下ると、わかりやすい矢印があった。漫画とかでだまされるやつだ。
もちろんタッチューはだますことはしない。そういう店じゃなくてよかった。ここから本格的な登りに入る。ただ、角度こそ急なものの、基本的に階段を上るタイプの登山だ。足場はずっとコンクリート。これ登山て言っていいのかな。人間ドック後の健康づくりとかで会社の階段ひたすら上る上司とかいるもんな。
―そんなことをいろいろ考えながら足を進める。けっこうつらい。息が切れる。
タッチューだけ高くて、島の残りはほぼ平たんなので、登山中の景色は視線の抜けが良くて気持ちがいい。元気をもらう。
登山後、10分もたたないうちに頂上の予感がしてきた。
着いた。そこそこの達成感を味わう。
平日の午前8時に上ったので360度パノラマの景色を独り占め。気持ちがいい。
「世間的にはパワースポットなんだよなあ」とか思ってたらめっちゃ5円玉あった!出た!でも5円でパワー得ようとしてるとかそもそも信じてないと思うな。リーズナブルすぎる。
標高の基準になる三角点もあった。今後いろんな山頂で出会おうぞ。
―タッチューの頂上でひとり思う。そういえば20代のころ、那覇市松山のキャバクラで、伊江島出身の女の子がついたことがあったな。徐々に思い出してくる。僕はそこで、彼女に昔からの疑問をぶつけたんだっけ…。
それはこんな疑問だ。
「伊江島の小学生って、修学旅行どこ行くの?」
彼女はこう答えた。
「那覇だよ」
…そりゃそうだよなあ。
なんかめっちゃ腑に落ちた話だったのです。
…さらばタッチュー。また来るよ。
このはし渡れども外すべからず~明石海峡大橋ブリッジワールド~
「…そういう鳥かよ!」と思わず突っ込む話でもしようか。
「明石海峡大橋ブリッジワールド」という体験型の観光施設がある。施設といってもそれは橋。兵庫県の淡路島と明石市(本州)の間の瀬戸内海を結ぶ長さ約4キロの明石海峡大橋に見学ツアーが設定されていて、世界最長のつり橋の塔頂、約300メートルの高度(「ココ」地点)から大阪湾と瀬戸内海をぐるり360度見回せる、なかなかのエクストリーム体験ができるのだ。
高所恐怖症ながら好奇心旺盛という相反する気質が中年男性という器に同居する僕。…あ、ごめん、「中年男性という器」という表現に我ながらへこんだ。…さておき、ちょうど関西出張があったことを機に、延泊してこの「ブリッジワールド」に申し込んでみたのだ。ちなみにインバウンド含め大人気観光体験なので2カ月前からの予約確保を推奨する。実施期間は冬季を除いた4~11月。僕はシーズン終了間際に滑り込めた。
2018年11月某日。午後の部に申し込んだ僕は明石海峡大橋のたもとの「橋の科学館」、見学ツアー「午後の部」に集合したのである午後1時半。
まずは橋の建設の経緯と構造についてガイドのみなさんから説明を受ける。ガイドは初老の男性陣で、恐らく定年後の雇用延長組だろう。説明によると、瀬戸大橋以来の本州―四国を結ぶ役割の連絡橋。建造中に1995年1月の阪神大震災をまたぎ、震災で地底が変化したことで桁の長さも途中で伸びたりして、調整も経て98年4月に完成した。約10年の歳月を費やしたとのこと。
それをこんなメインケーブルで、両側から引っ張って吊っているんだよね。大規模かつ緻密な計算を駆使したアナログさに感嘆する。
でもってオリエンテーションでは「迷惑かけないし万が一なんかあった際にも文句言わないかんね」的な誓約書にサインする。むかし東京の「よみうりランド」でバンジージャンプ飛んだ時にもこんなの書かされたなあ。
それを書いたらヘルメットと、橋の上の強風の中でもガイドの声を聴けるイヤホン、
そして物品の落下防止対策、スマホやカメラを首からぶら下げるためのケースとストラップが配られる。
そこまでの準備が整えばいよいよスタート。
橋桁内を約1キロ歩き、塔を目ざします。
高所恐怖症的に何がイヤかって、足元がシースルー。つま先の向こうには常に海。ふわふわした感覚で足を前に進めます。おぼつかないことこのうえなし。
そうして塔まで着いたらエレベーターや階段を駆使して海面から300メートル地点へ。
でもってこの景色。
息を飲むし、なんか、「人間が能動的に生み出した人工物の上で高さを味わう」という行為は「人ってすげえなー」と先人へのリスペクトにつながるんだよなあ。驚嘆と感動、そのあと余韻にひたる贅沢な時間を味わう。人ってすげえなー。
そんな感慨をしみじみ思いながら関西地方をパノラマで見渡し、デジカメやスマホで写真を撮っていたら、不意に海上300メートルに響いた言葉。
「…ストラーップ!!」
え、びっくりした。すると、初老のガイドの男性の一人が僕の胸元を指さし、再度、大きな声で叫ぶ。
「ストラーップ!!!」
ああそうか。支給されたストラップが短かったので、首から外し、手を伸ばしてカメラを構えていたのだ。この高度だと小さい物でも落下すると危険。安全面には神経をとがらせているのだ。僕は「すいません」と会釈し、ストラップを再び首にかけた。
この日は風もなく、11月でも暑いくらいの日。冬場は強風のせいで見学がないのかな。そんなことを考えているとまた不意に、
「…ストラーップ!!」の声。
さらに追うように、今度は違う方向から、
「奥さん、ストラーップ!!」の声。
周りを見回せば、僕以外にもそこかしこでストラップを首から外して写真を撮り、注意される人が出てきたのである。分かる。動画撮影などダイナミックに上から下にカメラを動かしたい時に、首ひもが短くて撮りづらいんだよな。まあ、安全対策から言えば、気を使いすぎるくらいがいいんだろうけど。
でもガイドのみなさん、全員が「ストラップ!」の「ラ」と「ッ」の間をなぜか伸ばす。「…ストラーップ!!」言う。その違和感が徐々に大きくなる。誰が言い出したんだ。聞きやすいのかな。でもって、なぜ全員に定着したんだ。
高度300メートルのむき出しの塔頂。そこかしこで響き渡る「ストラーップ!!」「ストラーップ!!」という独特の注意。僕は思わず心の中で突っ込んだ。
「高いとこで『ストラーップ!!』言い過ぎだ!そういう鳥かよ!」
最終的に、再びおぼつかない足元で帰路についたのである。
この4月から今年度の営業が始まったので、みなさんもブリッジワールドに行ってみてはどうだろうか。おすすめ。エクストリームな景色と「ストラーップ!!」が楽しめます。
千里の道も足もとから~アディダスへのラブレター~
アディダスがむやみやたらに好きだ。
職場ではスーツを着なくてもいいので、基本、外出時はアディダスのスニーカーの「大定番」、スーパースターを履いている。すべてのメーカーのスニーカーの中でも大定番だけど。特徴はつま先の貝殻模様(シェルトゥ)の曲線。アディダス特有の「勝利の三本線」(スリーストライプス)の直線と相まってシューズを印象付ける、飽きないデザインがお気に入りだ。
1969年にバッシュとして発売され、根強い人気からストリートに飛び出した。僕も代替わりしながら常時2~3足は靴箱に入っている。
いま履いているのがシューズのアッパーがニット製で、その表情がカッコいいスーパースタープライムニット(黒×白)。気に入りすぎて2足目も買ってしまった。
ジョギング時のウエアなんかもたいていアディダス製のことが多い。実は世界有数のアパレル会社なんだけど、アディダスの現CEOは「世界最高のアパレル会社ではなく世界最高のスポーツ会社でありたい」と発言しているようだ。
その精神を勝手に代弁すれば「機能的」なんだと思うな。
そもそも僕の「シューズ史」を振り返ってみる。
中学の時はルールも分からないくせにアメフトチーム「49ers」のハイカットシューズを履いていた。選手名も知らないくせに49ersのトートバッグも持っていた。チームカラーは赤だったけど僕的には黒歴史だ。
高校生になると、ミズノとかナイキとか履いてたっけ。この辺りでエアマックスブームが起こったはず(持ってなかったけど)。ナイキの(これも大定番)コルテッツがお気に入りだった。底がギザギザしていてグリップ力は疑問だったけど、ナイキの大きめスウッシュマークがよく似合うコッペパン的な形状が好きだった。
大学時代は主にブーツ。キムタクがレッドウイング履いててすごいはやった記憶がある。この頃に多分スーパースターも履きだしている。
そして社会人になった2002年。僕のアディダス好きを決定付けるランニングシューズが発売された。
初代「クライマクール」である。
ランニング時の通気性を局限まで追及したモデルで、アッパーにメッシュ地を採用していて、画期的だったのが、靴底からも風が入る設計だったことだ。走っていてとにかく涼しい。そして軽い。アディダスすげえな。機能的すぎる。こんなシューズ作っちゃうのか。雨の日に靴下濡れまくりだけど。
それから一気にアディダスファンになった。以降、発売された「クライマクール(CC)」を冠したシューズは毎度チェックし、履きつぶしたら新モデルに履き替えてきた。2002~2019年にNAHAマラソンを2回、尚巴志ハーフマラソンを5回完走したが、いつも足もとにはクライマクール。アディダスに愛着もわきますよね。
CCシリーズはウエアにも展開し、通風性に優れたシャツやパンツを販売中。もうなんか、全身アディダスで街を走っている。人に指摘されたら、
「アディダスと契約しているから」
と答えるようにしている。そんなことを繰り返してたら、街なかやショッピングモールでアディダスショップを見つけた時に、
「ちょっと店長にあいさつしてくるか」
という気分になる。何かの病気かよ。
そんなアディダス愛を一通り語ったところで今さら本題。
トレッキングシューズ買いました。
山歩き専用のツールで気分を盛り上げて、まずは県内の山を攻めていくつもり。ひとまずこいつが富士山登頂を目指す相棒です。僕のスポンサーにつくなら今のうちですよアディダスさん。
世界(可動範囲)が広がる感覚が新鮮なんだよな。
~「俺たち付き合っちゃう?」は突然に~
僕が暮らす名護市は「自転車のまち」を掲げている。毎年11月には国内でも有数の自転車ロードレース大会「ツール・ド・おきなわ」も開かれるし、国道沿いには自転車専用道路が整備されていたりする。お隣の本部町や今帰仁村も含めたモデルコースも設定して自転車ツーリズムを呼び込もうと力を入れている。
2015年から2年間くらいかな、浦添市の自宅から那覇市久茂地の職場まで自転車通勤をしていた頃がある。
その理由の一つは、ダイエットだった。
何度も言うけど、人間は一定の年齢に達するとある程度食に金かけられるわ代謝は落ちるわで、生きているだけで太っていく。でも仕事でそこそこ疲れて帰ってくると、もう外に出るのっておっくうじゃないですか。ちょっとその辺を走るためにジャージに着替える行為だけで、寒い朝に布団から出るくらいの、一定の気合いを消費すると思う。
つまり、通勤に運動を取り入れるだけで、家帰って走る必要なくなる!バス賃も浮く!この気付きすごくない?とか思っていたんで酒がうまいんだよな。
…もう、ぜんぜんやせなかったんですよ。帰ってくるなりビールのプルトップ手前に引いてた。ごくごく飲めた。食も進んだ。帰りにケンタッキー寄ってた。僕の中のリトル高畑充希がいつも「ねえ、きょうケンタッキーにしない?」とささやいていた。しかも太ももがめっちゃ育って、スーツがどんどんきつくなっていた。食べて筋肉を重ねての繰り返し。レスラーか相撲部屋か、って感じ。新入部員的に体を作ってた感覚だ。
まあ、ここまでぜんぶ前振りなんだけど。
(本題始まるよ)先週、国道58号沿いで信号待ちをしていたのである。
すると、70代くらいの小柄な老婦人が信号待ちに加わった。「暑いわね」とか言うので僕も「ああー」なんて軽く会釈したりして。話好きなおばあちゃんだな、的な。
その時、僕と老婦人の前の自転車専用道路を10人くらいの団体が通過していった。それこそ自転車ツーリズムだろうか。自転車はロードレーサーだったりオフロード用だったりクロスバイクだったりさまざま。大きなリュックを背負いながら銀輪を回し、次々と気持ちよさそうに目の前を通りすぎていく。さらに、みんなそこそこぽっちゃり系。そうそう、自転車乗ってても意外と太るんだよな。そんなことを考えながら。
―すると、老婦人が再び話しかけてくる。「見た?」
僕も答えた。「はあ。自転車の人たちですか」
老婦人「自転車乗ってる割にみんな太ってたわよね」
僕「…俺たち付き合っちゃう?」
白昼の白い悪魔に白紙を差し出せ
恐怖体験をした。
十字路には悪魔が潜むという。
僕は悪魔に出会ったのかもしれない。
ある昼下がり。僕は仕事で人通りが少ない名護市内の住宅街を歩いていた。歩いて行ける範囲にコンビニは無く、賞味期限すれすれを綱渡りする飲食物を販売しているスーパーが1つ。そんな街だ。
遠く国道を通過するダンプカーの音が聞こえる。そのせいか少しほこりっぽさも感じる。視界のなかに動く物は無く、時間が止まったような気分になる。
そんな街で、瓦もあらかた飛ばされたような、くたびれた木造の廃屋の前を通過しようとした時だ。
ふと、何かに見られたような気がして、思わず足を止めた。辺りには人の気配も車の気配もない。一陣の風が吹く。背中に視線を感じる。僕はゆっくりと振り返る。
そこに、ヤツはいたのだ。
ヤツじゃなくてヤギだった。
自己紹介の何か1ボケかまさないといけないという圧よ。
…なんつータイトルだ。
みなさま初めまして。初めましてじゃない人は最近どう?
(べつに答えなくていいです)
カリイと申します。
41歳会社員です。
24歳から3年半の間、「回転して空転してどこにも行けない」をテーマに「回転空転。」というテキストサイトを運営していました。
36歳から現在まで某ゆるキャラブログの「中の人」もやっています(現在放置中)。
好奇心は人一倍なので食や旅にまつわるさまざまな体験レポートを伝えられればと思っています。今の目標は富士山登頂です。
運営するブログの文章はあくまで私の考えを述べたもので、私が所属する企業の意見を代表したりそれ以前に関係するものではありません。いちど言ってみたかったこのくだり。
といってもそんな大したこと書きません。むしろ大したこと以外を書いていきます。
そんなこんなでみなさま、「回転空転フルスロットル。」へようこそ。
20代に比べ、体力が落ちたなりに全力(たまに脱力)ですので、よろしければ山頂までお付き合い下さい。
プロローグのようなもの
ジューシーな鶏の唐揚げをよく冷えたハイボールで喉奥に流し込む。
―週末がはじまった。
酒を飲んだ瞬間に周りの空気がふっとゆるむようなあの感じが好きだ。世界が一段階やさしくなったような気もする。
僕も先刻より一段階ゆるんだ顔で周りを見回せば、那覇市久茂地の洋風居酒屋は結構な混みよう。笑ったり食べたり熱弁したり。酔客はそれぞれに忙しい。
鶏の唐揚げは部位ごとに食感の違いを味わえるように計算され提供されている。モモの程よい弾力。砂ズリの歯応え。セセリの柔らかさ。口の中の多様性をまたハイボールで流し込む。
41歳になった。
20代の頃から変わったこと。タバコをやめた。サスペンスよりノンフィクションを読む。新書を買う機会も増えた。連ドラはほとんど見なくなり、「報道ステーション」から「ニュース23」への継投は定番。生きてるだけで太っていくけど、マックやモスは相変わらず食べちゃう。それにしてもこの間、尾田栄一郎先生はずっと最高潮だな。
酒は変わらず飲む。ジャパニーズウイスキーの人気高騰を誇り、その余波の販売休止に消沈した。クラフトビールの味を知り、世界が界王拳5倍的に広がった。麦ってすげえな。あ、キャバクラから足が遠のき、スナックに足が向くようになった。男はオッサンになると「ママ」が増えるよな。そんなアホなことも思う。
年齢を重ね、食と旅への興味が高まった気がする。食べたことがない料理や食材を食べ、見たことがない風景や建造物、人の営みやパフォーマンスに出会うことにすごく価値を感じる。はやりの「モノ消費からコト消費へ」。これが「大人」ってやつなのかも。
この年になると、国内もある程度るるぶった(「るるぶ」の動詞)ので、好奇心が前よりとがってきたことを自覚しつつある。なかなかできないエクストリームな体験を、いつもどこかで探し求めているのだ。
そんなことをつらつら考えていると、スマホにラインの通知。これも20代の頃から変わったことだな。中学高校の友人でつくる男だらけのグループライン「琉ドコ」。山畑という男が投稿したメッセージを開く。
「というわけで、今年も富士山チャレンジを行います。日本一高い場所から日本一の日の出と雲海を見に行きませんか」。
富士山。
それは、富士登山の呼び掛けだった。
山畑…たしかあいつ、おととし富士山登頂に成功していたっけ。
富士山か。
―なかなかエクストリームじゃないか、山畑。胸がざわりと騒ぐ。興奮した僕は、思わず手元のハイボールをあおった。そして絶句した。
―何だこれは。運命めいたものを感じるぞ。
その瞬間、僕はこの夏、富士山へ登ることを決めたのだ。